みんな子宮に疾患がありました。
母は40代後半、子宮がんで国立がんセンターにて手術、放射線治療を受けましたが
5年後、医師の完治宣言とはうらはらに、いつも辛そうな表情を見せていました。
布団の上げ下ろし、自転車での買い物など、
体を動かすことが大好きで全く苦にしたことのない母だけに
してはだめ、しなくていい、と言われても気持ちで乗り切ろうとして
体に異常を来してしまう現実を受け止めるのは、本当に難しかったと思います。
放射線治療の影響で白血球数が正常値に戻ることはなく
急性肺炎による入退院を繰り返した後
病院であっけなく他界した母。
結婚してから手術を受けるまでの年数と
手術を受けた後、他界するまでの年数は、ほとんど同じ。
やりたいことができず、辛さに耐える時間の方が長い生活の中で
私の娘、初孫の誕生と成長が、何よりの喜びだったようです。
母は40代後半、子宮がんで国立がんセンターにて手術、放射線治療を受けましたが
5年後、医師の完治宣言とはうらはらに、いつも辛そうな表情を見せていました。
布団の上げ下ろし、自転車での買い物など、
体を動かすことが大好きで全く苦にしたことのない母だけに
してはだめ、しなくていい、と言われても気持ちで乗り切ろうとして
体に異常を来してしまう現実を受け止めるのは、本当に難しかったと思います。
放射線治療の影響で白血球数が正常値に戻ることはなく
急性肺炎による入退院を繰り返した後
病院であっけなく他界した母。
結婚してから手術を受けるまでの年数と
手術を受けた後、他界するまでの年数は、ほとんど同じ。
やりたいことができず、辛さに耐える時間の方が長い生活の中で
私の娘、初孫の誕生と成長が、何よりの喜びだったようです。
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